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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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若衆入りの儀式。其の一

若集入りの儀式01
私の生まれ育った村は(島)は百七十戸の漁業関係者と三十戸あまりの米作農家があり、
私の家は島では珍しい部類の農家に属していた。

元々島は度重なる海難事故で屈強の若者が水死して男女の人口比率が
女性過多だった上に太平洋戦争の後遺症で、青年や壮年と言える者は殆ど
兵隊や軍属に駆り出されて戦死したので、島の人口は女性八百六十人、
男性百八十人と言うアンバランスな状態を示していた。

男と言えば兵隊に取られなかった子供か、はたまた五十歳以上の年寄りが殆どで、
二十代から四十代までの中年男性はダイヤモンドなみの貴重な存在であった。
適齢期の女性は結婚の対象なる男性が居ないので、娘のまま年齢を重ねて行くのを
「行かず後家」と称していた。

漁村で船に乗るのは僅かに生き残った数少ない壮年に、
本当なら現役引退間近い老人と、
新生中学を出たばかりのまだ子供らしさが抜け切らない少年達であり、
陸で水産関係の仕事に従事しているのは女ばかりであった。

だから漁船団が出航したあとの島はまさに女、女、女だらけで、
消防団員も全員女性であった。そして農協ヤ漁協の事務員や購買店の店員、
郵便局員や配達員も全員女性であった。

我が海宝島(仮名)は馬鈴薯のようなずんぐりした形の島だが北側、西側、南側の
海岸沿いに高さ二百メートルほどの馬蹄型の山脈が取り囲み、中に小さな平野があり、
島で唯一の海宝川が流れて居る。冬季に吹き荒れる東シナ海からの北西風は
山脈が受け止めて呉れるので意外と平野の中は温暖だ。
しかも北側には火山脈が通って居るらしく焼岳という休火山があるせいか、
温泉が湧出するのでその温泉熱を利用しての野菜の促成栽培も盛んで、
島の基幹産業である漁業に負けず劣らずの高い収益を上げていた。
 
義姉とのSEX1-3
十一月からは夜なべの季節である。
松明をかがり火にして家の土間で三十七歳になる父の義信は
稲藁を使って縄をなっていた。三十数軒の島の農家の
半数後家家庭ばかりで屈強の年齢層はカズノコ並みに貴重であったから、
父は農業指導実行委員としてあちらこちらの男手不在の後家さんや、
老人だけに成った農家の色々な農事相談を一手に引き受けていて昼間は多忙で有った。

男盛りの年齢層の数少ない男性には、無論後家さんの身の下相談も
当然はいって居たらしいことは、私が少し大人に成ってから何となく判って来た。

父母とも健在である私の家庭は村では恵まれている方で事有る事に羨ましがられていた。
母はかんころ(干し芋)作りである。木製のたらい上に手かんなと称するものを差し渡して
固定して手に握ったさつま芋の方を動かして、しゅつしゅつと薄く削っていくのだ。

「のう貞信や、来年の春はいよいよ若衆入りやね」
母は芋を削る手を休めて私に言った。
「貞信のヘノコ(ペニス)はこの位に大きくなったかのう」
母は細長い紅赤芋を掴んで、蝋燭の様に立てて持った。
「俺のは、そんなにでかくないよ」
「おい、かあさんや。それは俺のやつの大きさだがな」
父が二人の会話に割り込んできた。
「あっ、いけない、私ついつい何時も握っている大きさの物掴んでしまったよ」
と笑いこけていた。

夜なべは夜中の十二時で終了となり、味噌汁に素麺を入れた地獄炊きが出る。
「お父さんの時の若衆入りは、誰にして貰ったの」
「俺はなあ、捕鯨一番の美人後家さんで評判の入江美佐子さんよ」
「ああ今、婦人会会長なさっている入江の婆ちゃんね」
「今ではお婆ちゃんに成ったけど、俺のヘノコの皮剥きして呉れた時は、
 三十歳代の後家さんで、とても綺麗だったな」
「貞信のホト親には、いい後家さんが当たればよいがね」
「うん、そうだな。ホト親は床上手な人も悪くはないが、
 結局は気立てのよい優しい女の人が一番だからな。
 でもこればっかりはアミダくじで、ホト親の割り当てがあるから運次第だなあ」

それと言うのも毎年二月に行われる若衆入りで、島の十六歳に成る男の子は
女衆宿で婦人会で選抜した島の後家さんにより若衆入りの儀式・・・
通称「ヘノコの皮むき」により、ねんごろに性交技術の集中実地教育を
三週間かけて研修させられるのだ。
女の性と飢餓03
しかもこの制度にはアフターケアとして、
この研修のあと一年間はホト親の後家さんは割り当てられた少年に、
週に一回は性技術の実習をさせる義務があった。
このような一年を経過して性交技術の場数を踏んで、
初めて少年は一人前の男として村の男に成れるのだった。

漁村は如何しても海難事故等の為に後家さんが多い。それらの女性は
村の男性の性の慰安の為と同時にそれら女性自身の性欲の解消も兼ねていた。
しかも性に未熟な男性の教師の役目も果たしてくれるので、
村では丁重にかつ尊敬の念を持ってさえ扱われていた。
(ホト)とは女性陰部の古語であり、島の男性は全て実の父と母と性の手ほどきを
して呉れたホト親を持っていた。

一方その女性版として未通の娘の処女を破り性の手ほどきをする男性を(マラ親)
と呼ぶが、何れも江戸時代から島に連綿と続いてきた風習で、
男女とも如何に性の技術に熟達しているかどうかに価値基準があり、
童貞とか処女という言葉は島では死語に等しかった。
しかも、戦争が更に拍車を掛けた男不足は、性交能力がある男性は全て
博愛主義になる事を島の掟で強要されていた。

年が明けて待望の二月の(ヘノコの皮むき)当日となった。
冬の朝は夜明けが遅いが母は六時には起きる。何時もは八時に成らないと
起きない私も張り切って六時半に起きたら、
「貞信、今日はさすがに張り切っているね」と冷かされた。
下駄を履いて台所の土間に降りて、家の中に有る井戸端の車釣瓶で水を汲む。
温かい井戸水は地上の冷たい空気に触れて、
湯気を立ち昇らせるのが淡い電灯の光に照らされている。

まだ太陽が昇る前の暗い海は波音も小さく、
どうやら油を流した様な(べたなぎ)に違い無かった。
今日が童貞最後の朝だと思うと日頃見慣れた周囲の自然の風景にも
何かしら感慨深いものがあった。

母は昨夜炊いたひらかし麦(茹でた裸麦)に、これまた煮て置いた
小豆を米に混ぜて釜に入れて釜戸で麦入りお赤飯を炊いている。

  1. 若集入りの儀式
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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