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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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本能の赴く儘に。其の五

~蒸し芋と酒饅頭~
本能の赴く儘に16
しばらく撫で回していた爺さんは末子に、
「おまえは泥棒じゃから駐在さんに捕まえて貰うてもいいんじゃが、今ワシがしたことを
 誰にも言わんで、明日もここに来りゃ駐在さんには黙っといてやる」と言った。

黙って頷いてから走って帰った末子はその夜、
駐在さんに捕まる夢を見て、何度も目が覚めた。
次の日に、言われた通りに恐る恐る水車小屋に行くと、爺さんは
背負っている赤ん坊を降ろさせると、小屋の片隅の破れ布団の上に寝るように命じた。

爺さんは横に成った末子のズロースを脱がせると末子の股の間に指をいれてしばらくの
間いじっていたが、そのあと顔を押し付けてオメコを舐め始めた。
最初は舌が内股を這い回るのが気持ち悪くて身震いしたが、オメコを舐められている内に
何となく気持ちが良くなってきた。

それ以来、殆んど毎日水車小屋で爺さんに舐められる日が続いた。
舐められる度に気持ちの良さが強まり、頭がボーとなり、やがてイク事を覚えてしまった。

当時、爺さんは婆さんに先立たれて、一人暮らしだった。母屋は高台の村の中にあり、
息子や孫達はそこで暮らしていたが、爺さんは暖かい時期は水車小屋に寝泊りして、
母屋へは時々しか帰らなかった。

爺さんはオメコを舐めた後、時々末子の濡れた穴に
ぐんにゃりしたままのチンポを押し付けて擦っていたが硬く成る事は無かった。
柔らかいままのそれを無理に口に押し込んでしゃぶらせる事もあった。

たまに口の中にチンポの先から生臭いドロッとした少量の液を出す事があり、
それを、「滋養になるから飲め」と言って飲まされた。最初は臭いや感触が嫌で
吐き出しそうになったが、慣れると平気で飲み込めるようになった。

最初は駐在に言われるのが怖くて、嫌々水車小屋に通っていた末子も、
空腹を満たせる芋や団子が目当てになり、さらにオメコを舐めてもらうのが
楽しみで通うようにと変化していった。

ところが狭い田舎の村の事、毎日のように水車小屋に通うだけでも目立つのに、
隙間だらけの水車小屋で爺さんにオメコを舐められていれば、村の男に覗かれる事もある。
 
本能の赴く儘に14
現に私と美津子も樋の上から現場を目撃したのだから。その男から、
「爺さんにオメコ舐めさせたことを他の人にバラされたくなかったらおとなしく言う通りにしろ」
と脅かされ、やっと十五歳に成ったばかりの秋に男の家の納屋に連れ込まれて犯された。
**
その男は爺さんと違って優しく愛撫したり舐めたりせずに、いきなりチンポをオメコに
突っ込んできた。しかもそのチンポは爺さんのモノとは違って太くて硬かった。
それが入って来た瞬間は股が裂けそうに痛くて、思わず、「痛い!」と叫んだが
男は構わずその硬いチンポをグイグイ押し込んだ。

末子は痛くて苦しくて涙を流しながら、「痛い、やめて、お願い」と泣き続けたが、
興奮した男は末子の口を押さえて声が出ないようにしながら数十回腰を打ち付け、
「ううーうう」と呻くと熱い大量の液を膣奥深く注ぎ込んだ。

それでも末子は爺さんとのことがバレると、お供えを盗んだ事もばれて駐在に掴まると
思って泣きじゃくりながらじっと耐えていた。

しかし、犯した男も根は優しくて、末子が何時も腹を空かせている事は知って居るので、
欲望を発散させて落ち着くと、
「末子、痛くしてすまんかったなあ、もっと慣れとると思ったもんじゃけ」
と言いながら台所から酒饅頭を取って来て与えた。
オメコの痛さと棒が挟まったような違和感は残っていたが、
甘いアンの入った酒饅頭の美味しさは、そのオメコの痛ささえ薄れさせた。

その後、何度かその男に硬いチンポを突っ込まれて痛い思いをしたが、
慣れると痛みも薄れ、男の呉れる蒸し芋や酒饅頭の方が楽しみになっていった。

水車小屋や、この男の納屋での行為はやがて他の男達にも知られるようになり、
何人かの男に同じ様に脅かされては犯された。
そんな男達も犯すだけでなく、ついでの際にトウキビや蒸し芋を呉れた。

やがて村の男達の間では末子がオメコをさせるという噂が広まり、
犯される回数も増えてきた。そうすると子供心にも、少しの間我慢してチンポを
嵌めさせてさえいれば、食べ物が貰える事も有るという打算が働くようになり、
男達に身を任せるのが苦痛でなくなった。

既に爺さんの舌でイクことを知っている体はチンポで突かれる快感を覚えるのも早かった。
セックスのよさを覚えると、食べ物も欲しいがチンポも欲しくて二つの欲に誘われて、
男達の誘いを持つようになった。
本能の赴く儘に15
本格的にイク事を覚えると、他に何の夢も楽しみもない末子にとっては
チンポを突っ込まれる事が最大の楽しみになってきた。とは言え、子守奉公の
末子は常に背中に赤ん坊をおぶっていたので、よほど季節が良くて、
しかも偶々であった場所に適当な藁や落ち葉の褥(しとね)があるような恵まれた場所で
なければ、男達はわざわざ末子に赤ん坊を降ろさせて正常位で抱いたりはしなかった。

たいていの場合、末子に出会うと、チョツト道をそれた木立の蔭や藪の中に連れ込み、
赤ん坊をおぶったまま立ち木や垣根につかまらせて、尻を突き出させ、
着物を捲り上げて後ろから立ったまま嵌めた。
逆にこの体位だからこそ冬の寒い季節を除けばいつでも可能だった訳でもある。

この体位に慣れると末子は着物さえ捲くればすぐに男を受け入れられるように
普段からズロースをつけなくなった。

小学生の頃、私達がお医者さんごっこをしていると大きな体の末子が時々
加わっていたが、既にその頃はズロースは付けていなかった。
勿論その当時の私にはその理由など分かりもしなかったが。
当時、村では川下の河川敷に建てた掘っ立て小屋に私達の遊び友達の松子の一家が
棲み付いていて、松子の母が村の男たちの相手をしていた。町の飲み屋上りで女盛りの
彼女は色が抜けるように白く色気に溢れ、床上手で男を満足させると言う噂だった。

私も小学生の頃、松子の家に遊びに行って、松子の母が昼間から男と絡み合っている
姿を何度か目撃したことがあった。
電気のない、薄暗い小屋の中に壁の穴から差し込む日の光りの中で、
白い裸身が男に絡み付いて蠢いている姿態は子供心にも妖しくも悩ましい光景だった。

彼女も米や野菜などを持っていけば抱けるという事で村の男達には人気があった。

だから、色が黒くて、いつも垢だらけの着物に身を包んだ小便臭い小娘の末子に
それほど沢山の男たちがわざわざ言い寄って来ていた訳ではない。
たまたま道で出会うと田舎の事だから人目はないし、末子が物欲しそうに寄って来ると
男達もついその気になり、道端の木陰に連れ込んで、尻を捲くって慌しく立ったまま
末子の中に突っ込んだ。

  1. 若き日の性欲
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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