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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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葬儀屋の女房。其の一

◇我が家の家業◇
葬儀屋の女房01
小さい頃は、棺桶の中で遊んだりしていたが、物心ついてからは、
家業が葬儀屋だという言うことにひどく嫌悪感を抱くようになった。
其の思いを決定的にしたのは、小学三年のとき、
級友たちにつけられた「ハゲタカくん」というあだ名だった。
別に髪の毛が薄かった訳ではない。ハゲタカが死体に群がる鳥だからだ。
好きな女の子にまでそう呼ばれた時には、私は父親を猛烈に恨んだ。

だから、親父の跡を継ぐことなど想像したことは一度だってない。
三流でも四流でもいい。自分だけはサラリーマンになるんだと子供の頃から決めていた。
中学生の頃は、ひたすら親父の職業を隠し続けた。友達同士でそういう話が出ても、
自営業と言う言い方で逃げていた。友人を家に招く事もしなかった。
家業が葬儀屋だと言うことが、一目でばれてしまうからだ。

しかし、私は親父の跡を継いで葬儀屋になった。
今では父の代では果たせなかった支店をもつまでになっている。

私が心変わりしたのは、高校一年生の夏休みのときだった。
どうしても人手が足りず、葬儀屋を手伝うことになったが、とっても我慢できなかった。
私は終始、膨れ面をし、唇をとがらせて仏頂面をしていた。
しかし、葬儀が終わって、年老いた喪主が言った一言が、私の人生を百八十度変えたのだ。
そのとき葬儀屋の息子としての自覚を呼び起こされたのだが、
喪主は私に深々と頭を下げてこう言った。
「こんな立派な葬式をしていただいて、あの子もきっと喜んでおります。
 本当にありがとうございました」

あの一言がなければ、私は親父の跡を継がなかったはずだ。
高校を卒業し、サラリーマンになって早々に家を出て居たことだろう。

短期大学 に通いながら家業を手伝い、そのときに祭壇の作り方をはじめ、
釘袋の使い方など職人的な仕事を覚えた。大学を卒業すると、二年間、
親父の知り合いの葬儀屋のもとで修行し、そこでは司会などもやらせてもらった。
そして二十二歳の時に家に戻り、親父とともに家業を営むこととなった。
 
葬儀屋の女房02
この仕事は人生勉強の場と言ってもいい。なぜなら、人間の裏側が良く見えるからだ。
遺産相続でもめていたり、醜い争い事を間近で見る事も少なくない。
亡骸の隣で殴り合いの喧嘩をする人たちもいる。
悲しみに暮れていた人が相続のことになると、目をランランと輝かせることなど
日常茶飯事だった。

しおらしい未亡人が歯をむき出しにして、愛人をののしる現場にもお目にかかった。
私は見兼ねて何度か仲介に入ったことがある。葬儀は結婚式と並ぶ、
人生最大のセレモニーだと考えている。

葬儀全体の費用も、もちろんピンからキリまであるが、
全国平均で言えば二百五十万円もかかる。だからこそ、失敗は絶対に許されない。
毎回緊張の連続であり、いつまでたっても慣れるということはない。

このセレモニーを、私は暗いものにはしたくないと言う思いをずっと持ち続けていた。
次の世界への旅立ちだというブラスの気持ちで、仕事に取り組むように心がけている。
それは親父の考えでもあった。親父は何時も口癖のように、
「なんにつけても暗いのはあかん、葬式もそうや。暗い葬式は故人も悲しむ」
と言っていた。

宗派はとくにない。仏式でも神式でも、キリスト教でも無宗教でも、
何にでも対応出来るようにしている。
だから私も特定の宗教には所属していない。かといって、無宗教かというとそうでもない。
すべての宗教を信じていると言えばいいのだろうか。

ところで、親父は数年前に亡くなったが、これが絵に描いたような超真面目人間で、
酒も煙草も女も一切やらなかった。御袋の言葉を借りれば、
「大クソ真面目な男」ということになり、まさに仕事が趣味というような男だった。

そんな親父の息子でありながら、私の性格は全くの正反対。
飲めと勧められれば一日中だって酒を飲んでいるし、息が出来なくなるほど煙草も吸うし、
とくに女遊びは自分でも「よーやるわ」と呆れてしまうほど好きだった。
おそらく、散財する為に生まれて来たような祖父の血を全面的に受け継いでいるのだろう。

祖父は私が二、三歳の頃に亡くなり、記憶には殆どない。
祖母によれば、それはそれは豪快な人だったらしく、祖母は女関係に泣かされ続け、
幾度となく親父を連れて家出をしたという。
葬儀屋の女房03
さて、女遊びの好きな私は、仕事が終わると毎晩のように、従業員を引き連れ、
ある時は一人でネオン街へと繰り出していた。
そこで私は女の子たちに「おれは葬儀屋だ」と宣言すると、彼女達は一瞬驚くが、
すぐに興味津々の顔をし、とくに葬式の後に起こった、人間の醜悪なあらそいについて
しゃべり出すと、身をのりだして「へぇ」とか「ほー」とか感心しながら、
目をランランと輝かせる。彼女たちのそんな顔をみるのが、とても愉快だった。

そういうわけで、大阪・ミナミの一部で私は「葬儀屋さん」というあだ名を頂戴し、
ちょつとした人気者だった。
が、そうこうしているうちに、いつの間にか三十も半ばを過ぎてしまっていた。

おふくろからは「そろそろ結婚して、孫の顔を見せてくれ」と事あるごとに言われ、
親父は「おまえの次の後継者の顔を見るまでは、死んでも死に切れんわ」
とこぼすようになっていた。

私も結婚をしないと決めていたわけではない。
いい人がいれば、すぐにでも式を挙げたいと思っていた。
が、いかんせん、仕事がら女と知り合うキッカケがないし、
かりにいい女がいても、まさか棺桶のそばで口説くわけにはいかない。

一度、とびきり綺麗な未亡人と親しくなった事があったが、
私と会うたびにベッドの中で、相続問題でいがみ合っていた、
親戚のことを罵倒する姿を見て、百年の恋も一気に醒めてしまった。
セックスの相性がまぁ良かっただけに、多少残念には思ったが・・・。

また、玄人さんともいい仲になったりしたが、
神は私を見捨ててはいなかった。

  1. 妻を語る
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アヤメ草

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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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