故郷岩手の女。其の三
~旧友との再会~
実家の両親はすでに他界していて、長兄夫婦と甥が住んでいた。
小さな村だから、落魄れた男の働く場所も居場所もない。
両親の墓参りを済ませたら後、すぐに其処を離れようと、思っていた。
しかし、長兄夫婦に引き止められるまま、生まれ育ったという居心地の良さから、
一日だけと思っていたのが、一週間になり半月になった。
その間、私がしていた事は、長兄のがしている刺し網漁の手伝いだけで、
残された時間は、ただボンヤリと怠情に過ごしていたのだった。
そんなある日のこと、漁が終わった後、防波堤に出て暮れゆく海を見ながら、
缶ビールを飲んで一人感傷に浸っていると、背後から男が声を掛けてきた。
「オイ、山崎だろう」
ギョツとして振り向くと、男は赤銅色の顔から白い歯を覗かせて、短髪の
胡麻塩頭をポリポリ掻きながら、棒立ちに立っていた。
「・・・・?」
「オレだよ。吉川だよ・・・忘れちまったか」
「吉川さん?えっ、ああっ・・・あの、吉川か」
男の顔に、中学生時代の顔が重ね合わさった。
吉川は小学校、中学校時代を通して、私と良く一緒に遊んだ友達だった。
「いつ戻って来た」
「もう半月になるよ」
「連絡ぐらい呉れれば良かったものを・・・
黄昏て今にも海に飛び込みそうにしてたんで、良く見たらお前なんだもの、驚いたぜ」
「そうか、そんなに黄昏てたか」
「鏡で自分の顔を見てみろよ。死神に取り憑かれたような顔をしている。何があった?」
吉川は私に並んで、防波堤の上にドッカと腰を下ろし、胡坐をかいた。
そして私は吉川に聞かれるまま、郷里に来る事に成った一部始終を話した。
「サラリーマンは贅沢な悩みを抱えて生きているもんだな。俺たち、漁師の悩みなんてのは、
プライドも屁ったくれもねぇ。其の日、漁が捕れるか捕れないか、単純なもんだよ。
まっ、仕事はどうでも、カミさんと別れたのは痛えよな」
「ああ、痛え、こう言うのをお前らの世界じゃ、逃がした魚はデカイって言うんだろぅ」
「其の通だ。で、どうする。いい年をして何時までも兄さんの所に居候じゃ、
肩身が狭いってもんだろぅ。かといって、ここにゃサラリーマンだったお前が
出来るような仕事はねえ。どうだい、思い切って漁師にでも転業するかい。
もっともお前の覚悟次第だが・・・」
「・・・・?」
「ゆっくり考えればいいさ。今夜はオレに付き合え、良いと頃に連れて行ってやる」
吉川は私の肩をぶ厚い手で痛いほどバシッと叩くと、私を立ち上がらせ、
子供の頃からの癖で、大股で肩を揺らせながら先に立って歩き始めた。
正直言って私は、吉川と会ったのは高校卒業以来のことで、
その存在すら記憶の中から消えかかっていた。
思わぬ再会は時の流れを超越して、一気に少年時代へ連れ戻した。
吉川が私を連れて行った所は、町外れにある居酒屋だった。
其の居酒屋は十人も座れば満席なる、カウンターだけの、
鰻の寝床のような小さな店構えをしていた。
「いらっしゃい。あら・・・珍しいわね」
吉川の姿を見た女将が、気安く声をかけてきた。
「なんだい。他に客はいないのか。オレたちが口開けじゃ、
今夜はたいした事はないな。トットと店を閉めた方がいい」
「まァ、憎まれ口ばっかり。そちらのお客さん・・・何に致します?」
「そうだね、まずビールを貰おうかな」
「ケイちゃん、オレもビールだ。それと、刺身をドーンと並べてくれ」
「はいはい、ドーンとですね」
ケイちゃんと呼ばれた女将は、グラスを二つカウンター上に置き、
冷蔵庫からビールを出した。
「こちらは吉川さんのお友達?初めてですわね。さあ、どうぞ」
女将は私の持ったグラスに、ビールを注いだ。
其れを吉川は、ニタニタ笑いながら見ていた。そして注ぎ終わった後、
「なんだいケイちゃん、オレに酌はなしかかい」
と吉川は膨れっ面をして見せた。
「憎まれ口を叩く人には、お酌なんてお断りよ。自分でご勝手に」
女将はつっけんどんに言って、鰹を俎板の上に一本丸ごと置くと、
器用な手付きで其れを三枚におろし始めた。
「山崎、気の強い女って奴は、ガキの頃からその素質が有るもんなんだ。
どっかにそんな女・・・いなかったか?」
吉川が私の耳元で謎かけのように囁いた。
どこかに・・・吉川に言われて、直ぐに思い当たった。
着物を着てエプロン姿でいたから、それと気付かなかったが、
彼女は三本松の所に住んでいた、恵子だった。
「恵子ちゃん?あの恵子ちゃんか?」
私は興奮して、吉川の顔にキスをせんばかりに顔を寄せて囁いた。
吉川が私の足を蹴飛ばして、大口を開けて笑った。
それに釣られて、私も笑いが込み上げてきた。
「何がそんなに可笑しいの?」
恵子が私たちを見て、キッと睨んだ。
「なっ、ホラ、あのまんまだろ」
吉川は目に泪さえ浮かべて笑い続けた。
「二人して馬鹿笑いしていればいいんだわ。
鰹の次は、貴方達を三枚におろしてあげるから、待ってらっしゃい」
「おお怖い、三枚におろされちゃかなわん。オイ、名乗りを上げろよ」
「名乗りたって、恵子ちゃん、オレを忘れたのか?」
「馬鹿、それじゃ判らんだろう。お前だってたった今まで気付かなかったぐらいだ。
ケイちゃん、山崎だよ、こいつ帰って来たんだ」
「えっ?山崎さんて、ええーっ、山崎さんて、嘘でしょう。
えっ、私、どうしましょ。恥かしいわ」
恵子は柳刃包丁を持ったまま、耳朶まで真っ赤に染めて、
少女ようなうろたえ振りを見せた。
実家の両親はすでに他界していて、長兄夫婦と甥が住んでいた。
小さな村だから、落魄れた男の働く場所も居場所もない。
両親の墓参りを済ませたら後、すぐに其処を離れようと、思っていた。
しかし、長兄夫婦に引き止められるまま、生まれ育ったという居心地の良さから、
一日だけと思っていたのが、一週間になり半月になった。
その間、私がしていた事は、長兄のがしている刺し網漁の手伝いだけで、
残された時間は、ただボンヤリと怠情に過ごしていたのだった。
そんなある日のこと、漁が終わった後、防波堤に出て暮れゆく海を見ながら、
缶ビールを飲んで一人感傷に浸っていると、背後から男が声を掛けてきた。
「オイ、山崎だろう」
ギョツとして振り向くと、男は赤銅色の顔から白い歯を覗かせて、短髪の
胡麻塩頭をポリポリ掻きながら、棒立ちに立っていた。
「・・・・?」
「オレだよ。吉川だよ・・・忘れちまったか」
「吉川さん?えっ、ああっ・・・あの、吉川か」
男の顔に、中学生時代の顔が重ね合わさった。
吉川は小学校、中学校時代を通して、私と良く一緒に遊んだ友達だった。
「いつ戻って来た」
「もう半月になるよ」
「連絡ぐらい呉れれば良かったものを・・・
黄昏て今にも海に飛び込みそうにしてたんで、良く見たらお前なんだもの、驚いたぜ」
「そうか、そんなに黄昏てたか」
「鏡で自分の顔を見てみろよ。死神に取り憑かれたような顔をしている。何があった?」
吉川は私に並んで、防波堤の上にドッカと腰を下ろし、胡坐をかいた。
そして私は吉川に聞かれるまま、郷里に来る事に成った一部始終を話した。
「サラリーマンは贅沢な悩みを抱えて生きているもんだな。俺たち、漁師の悩みなんてのは、
プライドも屁ったくれもねぇ。其の日、漁が捕れるか捕れないか、単純なもんだよ。
まっ、仕事はどうでも、カミさんと別れたのは痛えよな」
「ああ、痛え、こう言うのをお前らの世界じゃ、逃がした魚はデカイって言うんだろぅ」
「其の通だ。で、どうする。いい年をして何時までも兄さんの所に居候じゃ、
肩身が狭いってもんだろぅ。かといって、ここにゃサラリーマンだったお前が
出来るような仕事はねえ。どうだい、思い切って漁師にでも転業するかい。
もっともお前の覚悟次第だが・・・」
「・・・・?」
「ゆっくり考えればいいさ。今夜はオレに付き合え、良いと頃に連れて行ってやる」
吉川は私の肩をぶ厚い手で痛いほどバシッと叩くと、私を立ち上がらせ、
子供の頃からの癖で、大股で肩を揺らせながら先に立って歩き始めた。
正直言って私は、吉川と会ったのは高校卒業以来のことで、
その存在すら記憶の中から消えかかっていた。
思わぬ再会は時の流れを超越して、一気に少年時代へ連れ戻した。
吉川が私を連れて行った所は、町外れにある居酒屋だった。
其の居酒屋は十人も座れば満席なる、カウンターだけの、
鰻の寝床のような小さな店構えをしていた。
「いらっしゃい。あら・・・珍しいわね」
吉川の姿を見た女将が、気安く声をかけてきた。
「なんだい。他に客はいないのか。オレたちが口開けじゃ、
今夜はたいした事はないな。トットと店を閉めた方がいい」
「まァ、憎まれ口ばっかり。そちらのお客さん・・・何に致します?」
「そうだね、まずビールを貰おうかな」
「ケイちゃん、オレもビールだ。それと、刺身をドーンと並べてくれ」
「はいはい、ドーンとですね」
ケイちゃんと呼ばれた女将は、グラスを二つカウンター上に置き、
冷蔵庫からビールを出した。
「こちらは吉川さんのお友達?初めてですわね。さあ、どうぞ」
女将は私の持ったグラスに、ビールを注いだ。
其れを吉川は、ニタニタ笑いながら見ていた。そして注ぎ終わった後、
「なんだいケイちゃん、オレに酌はなしかかい」
と吉川は膨れっ面をして見せた。
「憎まれ口を叩く人には、お酌なんてお断りよ。自分でご勝手に」
女将はつっけんどんに言って、鰹を俎板の上に一本丸ごと置くと、
器用な手付きで其れを三枚におろし始めた。
「山崎、気の強い女って奴は、ガキの頃からその素質が有るもんなんだ。
どっかにそんな女・・・いなかったか?」
吉川が私の耳元で謎かけのように囁いた。
どこかに・・・吉川に言われて、直ぐに思い当たった。
着物を着てエプロン姿でいたから、それと気付かなかったが、
彼女は三本松の所に住んでいた、恵子だった。
「恵子ちゃん?あの恵子ちゃんか?」
私は興奮して、吉川の顔にキスをせんばかりに顔を寄せて囁いた。
吉川が私の足を蹴飛ばして、大口を開けて笑った。
それに釣られて、私も笑いが込み上げてきた。
「何がそんなに可笑しいの?」
恵子が私たちを見て、キッと睨んだ。
「なっ、ホラ、あのまんまだろ」
吉川は目に泪さえ浮かべて笑い続けた。
「二人して馬鹿笑いしていればいいんだわ。
鰹の次は、貴方達を三枚におろしてあげるから、待ってらっしゃい」
「おお怖い、三枚におろされちゃかなわん。オイ、名乗りを上げろよ」
「名乗りたって、恵子ちゃん、オレを忘れたのか?」
「馬鹿、それじゃ判らんだろう。お前だってたった今まで気付かなかったぐらいだ。
ケイちゃん、山崎だよ、こいつ帰って来たんだ」
「えっ?山崎さんて、ええーっ、山崎さんて、嘘でしょう。
えっ、私、どうしましょ。恥かしいわ」
恵子は柳刃包丁を持ったまま、耳朶まで真っ赤に染めて、
少女ようなうろたえ振りを見せた。
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プロフィール
Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。
私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。
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