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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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戦後を生きた姉と弟。其の一

◇特殊な女の職業
戦後を生きた姉と弟01(戦後の横浜市内のバラック住宅)
私と姉は横浜の大空襲で父と兄弟を失い、戦後まもなく母も病気で亡くした。
(因みに姉は昭和二年生まれ、私は昭和十二年生まれです)

空襲で焼け野原となった横浜の町には、焼けコゲの残った木材とブリキ板で作った。
スラム然としたバラックが林立する中に、どうやってかブリキだらけの小さなバラックを建て、
それもちゃんと二間有ったのであるから、母と姉の根性には感心したものである。

長女と末っ子の私だけが辛うじて生き残ったのだが、
私の姉・貞子は戦後、外人相手の売春婦(パンパン)をやっていました。
姉は私よりうんと年が離れていたので、小学生になったばかりの私を養う為に、
他に生計をたてる方法がなかったのだと思う。

「お前の姉ちゃんはパンパンだってなぁ」
あちらこちらでそう言われてからかわれたけど、それでも私は姉を尊敬していた。
なにしろ、姉のお陰で、滅多に食べられないビスケットや果物の缶詰等が食べられ、
ジープにも乗せてもらえた。今思えば、姉は旅館代の分もGIからせびってしまおうとして、
天気のいい日はもっぱら、近くの山の中へGIのジープに乗って行き、青姦で済ませていた。
その間、私がジープの上に座っていていわゆる車の番をしていたのである。

時々、姉の嬌声が聞える。こちらはまだセックスの何たるかをよく分かって居なかったから、
ジープの上でのんびりとチョコレートをかじっていた。姉の笑い声で、姉とGIの消えた
草むらの辺りに目をやると、風もないのにサワサワと、其処だけ枯れ草がざわめいて
揺れているという事だった。

GIはチューインガムも呉れたし、時にはタバコまで呉れた。
小学生ですでに、私はタバコの味を知っていたのである。

草むらから姉とGIとが立ち上がり、姉がスカートのシワを伸ばす姿が見えると、
私はズック靴でタバコをもみ消し、ジープの後部座席に移って、
まるで何事も無かったかの様に、街の中へ帰るのである。
だから私はパンパンはまともな職業の一つだとさえ思っていたのだ。

と言っても、それは自分の面子を保つ為の言い訳で、実は其の仕事が、
戦後手に職も無い女性が、一番手っ取り早く金を稼ぐ、どこと無く後ろめたく、
おまけにイヤラシイ仕事なのだと言う事を、時の経過と共に感じる様にも成っていた。
 
戦後を生きた姉と弟02(バラック小屋とリンタク)
姉がパンパンを始めて何年も経った頃には、娼婦の中にも格差が出来て来る。
高級将校や外航船の船員相手の女は"オンリー”と呼ばれ、
日本で言う"お妾さん”と同じように、高級アパートに住み、優雅な生活をしていた。
オンリーに成れなかった姉のようなパンパンはなにしろ、ひどい時期も有ったのである。

突然姉が男を連れて帰ってくる。客はGIだけでは無くなっていたから。
闇米のかつぎ屋のような男や、酒焼けした日雇い人夫なども、バラックの家にやって来た。
後で判った事だが、姉にも好きに成ったGIが出来、結婚してアメリカへ行こうと、
誘われたが幼い私を置いては行けない、其の恋を諦めたのだと言う、それ以降はその
悲しみを忘れる為に男狂い走ってしまったと聞かされた。
姉は相手かまわず数で稼ぐように成っていったのである。
だから、まことにビジネスライフに仕事をする

「ちょつと外へ行ってなさい」
そうやって男を連れてくると、雨の日でも台風の日でもお構いなしに、
私はバラックを追い出された。仕方なしに私は外へ行くのである。すると姉は、
客の男にみかん箱の中から取り出したドブロクなどを振舞うのである。

こんな姉を見ていると悲しかった。要するに客の質が悪くなっているのだ、
私の眼にもハッキリ分かったからである。同じように、姉の品格も悪くなった。
最初の頃のように初々しさや清潔感は無くなり、代わりに居直った姉御のような
蓮っ葉な物の言い方をし、咥え煙草で客に振舞うのも、自分の肉体に酒の
付録を付けなければ、客との値段の折り合いがつけにくく成っているのだと、
私も直感的に感じていた。

おまけに、そんな商売をするとき、多分私が非常に邪魔者であったことは、
誰が考えても当たり前の事であり、私は姉の商売の邪魔をしない為には、
雨降りの日でも、軒の下にトタン屋根から流れ落ちる雨垂れに濡れながら、
じっとオシンをしていなければ成らなかったのである。

「そうか・・・ガキ、育ててるのか?年の離れた弟じゃねえか。
 まさか10やそこらで生んだアンタの子ってんじゃないだろうな」
バラックの、石炭箱の蓋でこしらえた窓は、閉じていても中の声は筒抜けに聴こえて来る。
なにしろ、拾って来た石炭箱の蓋板の上部を、バラックに切り抜いた四角い穴に蝶番で
上部を止め、中から木の棒で支えて開くようにしただけの窓であり、
辺り一面のバラックも、大抵はそんな窓が普通であったのである。
戦後を生きた姉と弟03
入り口などは、まさに農家の家畜小屋の板戸といったバラックばかりで、
酷いのに成ると、入り口に七輪を置いて飯の支度をする所にはドアさえない。
錆びたトタン板の囲いと屋根があるだけである。焼け跡から拾い集めたガラクタが
家具であるから、今どきの生活からは想像も出来ない。

その点、姉の稼ぎのせいで、私の住むバラックは二間に仕切られていたし、
おまけに入り口も、割れたところがあるとはいえ、ガラス戸がはまっていた。

GIがジープに乗せて運んできて、それを姉が釘で打ちつけ、
割れている所には私が紙を貼った。あたりのバラックから見れば、
ひところは自分の家だけが豪邸に見えた。姉の仕事のお陰であり、
其の点でも私は、姉の仕事をすごく立派な仕事なのだと思っていた。

ところが、二年、三年と経つと、姉の顔つきは品を失い、言葉遣いは乱暴になり、
殆どいつもモモ色のスリップ姿でいた。
客が来てドブロクを出すときも、家でウロウロするときも同じであった。
モモ色とウスモモ色のスリップしかもって居なかったので大事にはしていたが、
それでバラックの周りをウロチョロし、表に七輪を出してメザシを焼き、
客が来ると上を脱いでスリップ姿で酒をだす。

「酔っ払わせて、手抜きするつもりかい」
客の方も質が落ちていた。
「メチールなんか飲ますなよ。眼がパーッと散ってあの世行き、なんてこたぁごめんだからな」
酒を振舞われて、意地汚くそれを啜りながら、逆にケチをつける客にさえ、
以前の姉のように凛とはしていなかった。それどころか、決まって客の股座に手を置き、
「バカ!それより飲みすぎて立たない・・・なんて、泣いても知らないよ。
 飲み逃げも乗り逃げもイヤだからね。
 サツマノカミでないのなら、先に払うもの払っといてよ」

と、客のチンポをニギニギしながら、わざと客の方へ向かってスリップをたくし上げた股を拡げ、
いつも前払いを要求していた。そして、私がまだ家の中にいてグズグズしていると、
「お姉ちゃん、仕事だからね、ちょっと外へ行っといで・・・」
と、言いながら、私の方へ向かっては、
(この邪魔者が!)とでも内心思っているような鋭い目を向けるのである。
すると私は外が嵐であろうが真夜中であろうが、尻をぶったたかれたような気分に成って
外へ飛び出すのであった。

  1. 姉弟相姦
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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