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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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近親相姦の肉絆。其の一

◇叔母とその娘達
叔母とその娘達01
私の生まれ育った上州では昔からの“夜這いとか足入れ婚”などと言う風習が
近年まで残っていた。現代で言う婚前交渉よりも一歩進んだ制度?
だと私は思うのだが・・・そんな性風土の中では近親相姦も結構隠れて行われていた。
気心の知れない他人とするよりはよほど巧くいったと見えて・・・

私が中学生になった時は終戦から数年が経ち、世の中も平静に成りかかった時代でした。
私の周りには夫が戦死して、小さい子供を抱えた侭生活に追われている未亡人も多く、
誰もが貧乏で、生活して行くには苦労の多い時代だったと記憶していますが、
周りが一様に貧乏だったわけで、足りないところは隣近所で譲り合ったりして
今以上に人情の溢れた時代だったと思うのです。

私の母の末の妹は、旦那が戦争での傷が元で若くして未亡人に成りました。
隣町で生命保険の外交員をして娘二人を養っていました。
食料の殆どは、農家だった私の家から援助してやっていました。
月に二、三度私は母に言いつけられて、米や麦などの主食や野菜などを、
自転車がひっくり返るほどの物を荷台に積んで、10キロほど離れた町の、
叔母の家に届けにいかされていました。

小学校六年と四年生の従姉妹は、男っ気がなく母親が留守がちなので、
私が行くと泊まっていけと言って何時も纏わり付いて離れませんでした。

「ねぇねぇ、清兄ちゃん、泊まってってよ。あたいと一緒に寝よう」
「だめっ、あたいと寝るんだよね」
二人の従姉妹に抱き付かれると、女に触ったというだけで、もう勃起してしまい、
ズボンのテントを隠すのに必死でした。
「清、この子たちはとっても淋しいんだから、泊まってやんなよ」
叔母までが私をひきとめるのでした。

初めの内は振り切って家へ帰りましたが、上の娘の優子の誘惑を感じてからは、
時々泊まる様になりました。
優子は胸をはだけて白く形のいい未成熟な乳房を見せたり、
さりげなく腿を開いて奥が見えるようにしたりして、私をドキドキさせました。

私が顔を真っ赤に上気させて、
股間から目が離せなくなるのを楽しんでいるかのようでした。

 
叔母とその娘達02
叔母が会社の行事や研修の為に外泊する時は、必ず電話が掛かって来て、
私が用心棒に行く事になっていました。
「おれ、いやだなあ」
と、母にいやがって見せると、
「そんな意地悪言わねぇで、行ってやれよ。頼れるんは、うちだけしかねえんだから」
母は私の本心も知らずに、クドクドと説得してくるのでした。

優子は六年生で、目のぱっちりした美少女で、
胸も大分大きくなって色っぽい女の子でした。
トンボつるんで居るのを見ても勃起するほどセックスに異常な興味を持っていた、
ニキビ盛りの中一の私は、そんな彼女の肉体に引かれていたのです。

妹の久美子も美少女で、体格は優子と殆ど変わらない位に発達していました。
私と優子とは一歳違いですが、中学生と小学生ではこんなに意識に違いがあるのかと
思うほど二人は天真爛漫で子供っぽく感じていました。

叔母は母より6歳も年下で、当時38歳くらいで、丸顔の優子に似た
ぽっちり型の魅力のある人でしたが、性格的にはおおらかで、
意識的に私を誘惑したのかは知りませんが、私が風呂に入っているときでも、
「叔母ちゃんの、背中洗ってくれ」等と言いながら、全裸になって入って来るのでした。

「ほら、これで背中の垢こすってくれや」と言い、有無を言わせず、タオルを握らせ
背中を向けて私を促すのです。
恥ずかしくて叔母の裸をまともに見られないし、触れない私を、からかうように、
「叔母さんの体もまんざら捨てたもんじゃなかんべ」
等と言って私に抱きついてきて、乳房をグリグリ押し付けたりしました。
「だめだってば、いやだよう、よせよせよ」
私はオナニーしながら、無理やり先っぽの皮を剥いた、
陰茎が勃起するのを隠すのに懸命でした。

「あららら、清のチンポは皮も剥けてもう一人前じゃないか」
ぎゅうっと痛いほど陰茎を握られるので、私は慌てて風呂場から逃げ出しました。
こんな事が繰り返されていたので、従姉妹達も平気で私と一緒に風呂に入ったものです。
叔母とその娘達03
叔母の白い体にはもちろん興味があり、乳房や黒い陰毛や、
湯船を跨ぐ時にちらっと見える割れ目などを、必死に思い出しながら、
オナニーをしたものですが、不思議と触りたい、セックスしたいとは考えませんでした。

絶対タブーだと思い込んでいたからか、
童貞の少年には手の届かない大人だと思っていたからなのか、
ハッキリしませんが、叔母は後家の欲求不満を私にぶつけていたのでしょう。

それに比べると割れ目が一本の筋でしかなかった。
従姉妹たちの性器の方が手近で興味がありました。

布団を並べて寝ていると、優子の手が伸びて来て、私を引っ張ります。
その手はぷっくりと膨らんだ乳房を揉めと言うようにリードするのです。

私は両方の乳房を揉んだり、さすったりさせられました。
でも、私の興味は性器にあって、乳房の愛撫にはすぐ飽きていました。
そこで、手を下腹部にずらすと、腿をしっかりと閉じて拒絶します。

しばらく揉み合ったあげく、優子はやっと腿を緩めて割れ目に触らせてくれました。
「痛くしないでよ、そおっとだかんね」
その時は女の性器の構造には全く無知だった私は、
かなり荒っぽく弄り回していたのでしょう。
「あっ、痛いっ。もっとそおっとやってよ」彼女は囁きました。

訳も分からず、縦の筋からはみ出している肉の芽のようなものを、
指の腹で擦ると、彼女はパンツをずり下げて、その行為だけは許して呉れました。
今思えばそれがクリトリスだったのです。

「ねえ、兄ちゃんのも触らせてよ」
優子はかちかちに勃起している陰茎を握って扱き、何度もパンツの中に
射精させられて、後始末に困ったものでした。

初めは痛がっていた優子も、回数が増えると要領を覚えて、
隣に寝ている妹に気付かれないように二人は夜中に愛撫しあったのでした。
  1. 近親者との性体験
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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