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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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・利尻の淫乱女の半生。其の三

◇一生の疑惑
利尻の女03-1
私が本当にびっくり仰天したのは、そんな母親の浅ましい姿を見ているうちに、
私も二人の弟も妹も、母親の腹から生まれたのは間違い無いにしても、
果たして肝心の父親の方は、みんな同じだろうかと言う疑いです。
つまり、採れた畠は一つでも、蒔かれた種は別々では無いかと言う事です。
この疑いは今でも解けませんし、
おそらく死ぬまで私の胸の内から消える事は無いと思います。

考えてみると、島へ戻った両親が次々と死んだ後、私は時々は無性に生まれ故郷の
島が恋しくなって泣いた事はありますが、不思議と肉親の弟達や妹に逢いたいと、
切ない気持ちに成った事は一度もありません。
薄情な女だと言われればそれまでですが、正直に言うとあの時の疑い心が根を張って、
「どうせ弟達や妹とは、半分は他人同士なのだから」という、
諦めともヤケクソともつかない気持が、私の心を冷たくして、
無理してまでも島へ帰ってみる気にさせなかったのだと思います。

あれは、私が両親と番屋暮らしを一緒にするようになって、
一月ぐらい経ったある晩のことでした。
私の父親は漁師には珍しく大酒を呑まない人で、
仕事も手抜きを知らない働き者でしたが、その代わり、
花札博打には目の無い人でした。何時も晩飯が済んでからも番屋に居残って、
若い衆達を相手に花札をして、夜中近くに成らなければ小屋に戻った事はないのに、
その晩はいやに早く、ぶらりと小屋へ戻って来ました。

私はその時母親に抱かれて寝ていました。十三になるまで離れ離れでしたから、
一緒に暮らすようになっても、私は母親にも馴染めずに、どうしても遠慮勝ちで
他人行儀でしたから、母親もそれを気にしていたのでしょう。
私の寝床は小屋の右奥の、番屋に近い壁際の方でしたが、寝る時に成ると、
「テルよ、おッ母ァの方さ来い」と言って、少しの間母親は私を抱いて寝てくれました。

私が母親の温かい大きなお乳の間へ顔を押し付けて、寝たふりをしていると、
戻って来た父親が、ひどく気兼ねした言い方で母親に話しかけました。

「なァー、トメ。頼み、あるんだけどなァー」
すると母親が、ムックリ起き上って、
「お父、また負けたンかい?」と言います。
「うーん・・・。今日ァさっぱしついてないでよォー。
 そんでなァー、またおめえの体ばちょっこし貸してけれや」
「誰に負けたのさ」
「うん、根室の利助だ」
根室の利助さんという人は三十前後の若い衆で、私と母親が風呂の水汲みなぞ
していると、黙って手伝ってくれたりする優しい人でした。

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利尻の女03-2
「なんぼ負けたのさ?」
「百だ」
「だら、一遍かい?」
「そうだ、一遍でええから、あいつさやらせてやってけれや。なァ、頼む・・・」
母親はちょつと考えていましたが、「ええよ、仕方ねえべさ」と、あっさり承知しました。
私にはまだ、それが何の事か分かりませんでした。

「んだどもお父。断わっておくけど、一遍ですまないで、
 二偏も三偏も遣られたって、オラ知らねえど」
「ふン!」父親が鼻を鳴らしました。
「いつだってお父は、よその男さオラば貸しといて、後でオラの道具、
 でっかくなったとか締まらなくなったとか、ヤキモチ焼くんだからオラ嫌だよ」
「そりゃおめえ、おめえがオラとやる時より大えがりするからよ」
「そんだって仕方ねぇべさ。オラだって女だもン、よその男のでっかいヘノコで
 好きなようにされたら、我慢できなくなるの、当たり前だべさ」
「・・・だら文句言うなよ」

ようやく私にも両親の話の意味が大体飲み込めました。
父親が花札博打に負けて、その借り金の代わりに、母親を根室の利助さんに
抱かせようとしていることや、母親の方も嫌がるどころかなんとなく喜んでいる事や、
そしてそんな事が今度が初めてではなく、今までにも度々あったことまでも、
私には察しがついたのです。

私はさすが胸がドキドキしてきて、自分が悪い事でもするみたいな気持でした。
そして、その後の父親の言葉が、まるで刺身包丁でグサリとやられたように、
私の胸に突き刺さったのです。

父親は言いました。
「へへ・・・、本当アおめだって浮気できるから嬉しいんだべ。
 ンでもトメ、なんぼえがってもええが、また孕んだりすンなよ。
 おめだら性懲りなしにじき孕むんだから、危なくてしようねえ」

父親は負け惜しみとも愚痴ともつかない捨て台詞を言って、
また小屋から出て行きました。

そうです、この時の「また孕んだりすンな」とか「じき孕むんだから」と言った父親の言葉が、
私には生涯消えない疑念をいだかせてしまったのです。
利尻の女03-3
私は自然と島に残っている弟達や妹の顔を思い浮かべました。
私は小さい時から母親そっくりだと言われましたが、そう言えば二人の弟達も妹も、
確かに母親にはどこか似たところがありますが、父親に似たところがありません。
男の子は必ずしも父親に似るとは思いませんが、それでも二人の弟なぞは、
一人は鼻が胡坐をかき一人は顔の角張った所なぞ、疑ってみれば全く父親とは別な
人相です。私はやっぱり私達姉弟は、父親は別なのだと思いました。

父親が小屋から出て行くと、狸寝入りをしている私に母親が言いました。
「おめえ、自分のとこさ行って寝れ」
私が自分の寝床へ移って見ていると、その日も風呂の無い日だったので、
母親は何時ものように鉄ビンのお湯で前の方を念入りに洗っていました。

私は、
「女てものは、亭主ばかしではなしに、よその男にやらせる時もこうするもんなんだなァー」
と感心しました。そして、好きな男と夫婦になってからは、私も母親の真似をして、
必ず寝る前には自分の大事な所を綺麗にしとくように心掛けたものです。

母親は寝床に戻ると、また私に言いました。
「テルよ、おめぇあっちさ向いて寝れ。それからなアー、もうちょっこしせば、
 おッ母ァ按配悪くなったみたいに、唸ったり泣いたりするけンど、
 具合悪いんでねぇから心配しねえで、なにがあってもおッ母ァの方は見るな。
 見たらあしたにでもすぐ島さ帰すど」

私は急いで壁の方へ寝返りました。島を出て番屋へ来るまでに、
生まれて初めて汽車に乗ったり賑やかな町を見物したり、
食ったこともない美味しい物を食ったり、さんざんいい思いをしたものですから、
島へ帰されたら二度とそんないい思いが出来なくなると、それが嫌だったからです。

何分昔の事で細かいことは忘れて仕舞いましたが、番屋の花札博打は、
一点が一銭だったと思います。
ですから父親が百負けたと言う事は一円負けたと言う事で、若い衆は時化になると、
腹巻に一円札を大事そうにしまっては町へ女を買いに出掛けていましたから、
父親は商売女と同じ値段で母親の体を若い衆に売っていたことになります。

随分安く売ったものだと悲しくなりますが、父親のほうにすれば、
花札にはよほどの自信があって、自分は誰にも負けないと思い込んでいたようで、
実際博打で儲けた金を島の祖母に送金していた事もありましたから、
父親は自分が負けた時の事をそんなに考えなかったのかも知れません。
いいえ、それもどうやら父親の芝居らしいと知って、私は二度びっくりさせられました。
  1. あの日あの頃
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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