田舎から来た若い叔母。其の四
◇帰郷を伸ばして交接狂い◇
まるで木の棒に成ってしまったような、固く勃起したチンポから、体中の精液を
搾り取ろうとするかのように、グニュ、グニュッと蠢き、絡みつく肉襞が、
一層強く締まり、奥の方で起こった収縮運動が次第に膣全体に広がった途端、
睾丸の底に蠢いていた快感の渦が、一挙にグングンと快味を増して、
体全体に広がり、ついに目くるめく快感の塊になって、ガーンと脳天を直撃した瞬間、
私は全身の力をチンポに集めると、待ち受けている子宮目掛けてドバッ、ドバッと
煮えたぎるような精液を目一杯弾き込んで果てたのでした。
それを受けて、叔母も腰を持ち上げ、ヒク、ヒクとオマンコを蠢かしたが、
最早それ以上は体が思うに任せない様子でした。
私も余りの気持ち快さに力が抜けて、そのまま叔母の背中へドッと倒れ込み、
其の途端に途端にチンポもズボッと抜け出して、それに連れてドク、ドク、ドクと
堰を切ったように流れ出てくる淫液で、シーッも、二人の股間も、
ベトベトに濡れてしまったが、二人とも起き上がる気力も無くなっていました。
目を開けると、朝に成っていました。
外は雨。ジトジトと降り続いています。いつの間にか私は布団から転がり、
畳の上で深い眠りに落ちていました。
叔母は布団に横たわり、まだ寝息をたてていました。全裸の身を覆うタオルケットは
捲れ上がり、陰部が剥き出しになっていました。
陰部を埋め尽くして密生する草叢。其の草叢は肉のたっぷりついた大陰唇にまで
続いていました。その縦に長く切れた合わせ目からは、濃い紫色をした小陰唇が
ビロンとはみ出し、その奥に濃い桃色の肉襞が、僅かながら覗いています。
オマンコの形状は、想像以上に嫌らしいものでした。私は激しく屹立してしまいました。
昨夜、あれほど盛り合い、ありったけの精を叔母の中にぶちまけた筈なのに、
痛いほどそそり勃っていたのです。
「参ったなぁ・・・」
私は呟き、叔母に接近して、股の間を覗き込みました。
その形状もさることながら、オマンコがまるで呼吸でもしているかのように収縮して蠢き、
其の全体が濡れそぼっているのも、より嫌らしさを助長しているようでした。
生い茂った陰毛と、縦に割れた性器を食い入るように見つめているうち、
どうしょうもないほどムラムラしてきて、発作的にチンポを挿入してしまいました。
叔母は直ぐに目覚め、悲鳴をあげました。
だけど、上に乗っかっているのが私だと気付くと、
「なんだぁ、久雄ちゃんなのかぁ・・・あぁ、よかったぁ」
そんな事を言ったのは、誰か他の男に襲われた夢でも見たのでしょう。
「叔母さん、朝からゴメンね、でも、ボク、どうしても我慢出来なくなったんだよぅ」
「いいのよぅ・・・若い頃は、だれだってそうなのよぅ」
「叔母さん、そんなに、いろんな男とオマンコしたの?」
「ち、ちがうわよぅ・・・酷い事言わないでちょ~だいっ!」
すごい剣幕でした。私は慌てて詫びを入れ、逞しく抜き挿ししてやりました。
叔母はすぐに機嫌をなおし、朝っぱらから、
「いいわ、いいわ、いいわぁ・・・」
と盛んに快感を訴え。よがりによがり、膣をキッく締め付けました。
「叔母さん、いいよぅ、出ちゃうよぅ・・・あっ、あっ、あ~ッ、出る、出る、出るぅ」
私は呻き、締りのいい穴に思い切り放って遣りました。
行為のあと、叔母は全裸の身にエプロンだけつけて、朝飯を作ってくれました。
狭い台所で包丁を刻むたび、剥き出しの尻肉がプリプリと揺れ、
私はまたムラムラしてきて、後ろから襲い掛かってしまいました。
「久雄ちゃん、やめなさいッ。あぶないでしょうッ!」
だけど、私はおさまりがつかず、立ったままバックから挿入を果たし、
ゆっくりと抜き挿ししてやりました。
「あ~ん、もう、この子ったらぁ・・・」
叔母は甘くささやき、合体したまま料理を作り終えました。
それでも私は叔母から離れる気がせず、ひとつに繋がったままの格好で朝食を貪り、
(叔母もそうでした)食事を終えると直ぐ例の“駅弁”の格好で彼女を抱き上げ、
六畳の間でキツ~い一発をキメて遣りました。
その日は日曜日で、叔母は田舎に帰る予定だったのですが、
私にせがまれるままズルズルと滞在を伸ばし、一週間ほどして東京を後にしました。
その間、私達は相合傘で街中を散策し、夕方には銭湯に行き、同棲時代の気分に
浸り、後はアパートに篭って、ひたすらオマンコに嵌りました。
寝物語で、父と叔母の不倫生活の詳細を聞かされました。当時、40代の半ばの父は
中折れに悩まされていて、行為を最後まで終える事が出来なかったそうです。
三十路に成ったばかりの叔母は欲求不満に陥り、日々悶々として過ごしていたと言うのです。
其の話を聞いてから、私は叔母とさらに激しく交わり合い、何度も絶頂に導いて遣りました。
叔母と過ごしたこの一週間は、忘れがたい思い出になりました。
その後も週末に成るとお互いが熊谷駅まで出掛けて行って、
駅近くのラブホテルで密会を続けて居りました。
私が大学を卒業して家業の農場を手伝う様に成りますと、
市場への出荷トラックの助手席には叔母が陣取り、市場からの帰りにはラブホテルか、
時には路肩での野外セックスに若い血潮を沸き立たせていました。
私は27歳の時、5歳年下の妻と結婚したのですが、叔母さんとの関係は切れず、
相変わらずトラックの助手席には叔母さんが陣取っています。
昨年の二月に父が死亡しました。叔母さんは既に六十路になっているのですが、
あっちの方はまだまだ現役で、私をタジタジにさせてしまいます。
END
まるで木の棒に成ってしまったような、固く勃起したチンポから、体中の精液を
搾り取ろうとするかのように、グニュ、グニュッと蠢き、絡みつく肉襞が、
一層強く締まり、奥の方で起こった収縮運動が次第に膣全体に広がった途端、
睾丸の底に蠢いていた快感の渦が、一挙にグングンと快味を増して、
体全体に広がり、ついに目くるめく快感の塊になって、ガーンと脳天を直撃した瞬間、
私は全身の力をチンポに集めると、待ち受けている子宮目掛けてドバッ、ドバッと
煮えたぎるような精液を目一杯弾き込んで果てたのでした。
それを受けて、叔母も腰を持ち上げ、ヒク、ヒクとオマンコを蠢かしたが、
最早それ以上は体が思うに任せない様子でした。
私も余りの気持ち快さに力が抜けて、そのまま叔母の背中へドッと倒れ込み、
其の途端に途端にチンポもズボッと抜け出して、それに連れてドク、ドク、ドクと
堰を切ったように流れ出てくる淫液で、シーッも、二人の股間も、
ベトベトに濡れてしまったが、二人とも起き上がる気力も無くなっていました。
目を開けると、朝に成っていました。
外は雨。ジトジトと降り続いています。いつの間にか私は布団から転がり、
畳の上で深い眠りに落ちていました。
叔母は布団に横たわり、まだ寝息をたてていました。全裸の身を覆うタオルケットは
捲れ上がり、陰部が剥き出しになっていました。
陰部を埋め尽くして密生する草叢。其の草叢は肉のたっぷりついた大陰唇にまで
続いていました。その縦に長く切れた合わせ目からは、濃い紫色をした小陰唇が
ビロンとはみ出し、その奥に濃い桃色の肉襞が、僅かながら覗いています。
オマンコの形状は、想像以上に嫌らしいものでした。私は激しく屹立してしまいました。
昨夜、あれほど盛り合い、ありったけの精を叔母の中にぶちまけた筈なのに、
痛いほどそそり勃っていたのです。
「参ったなぁ・・・」
私は呟き、叔母に接近して、股の間を覗き込みました。
その形状もさることながら、オマンコがまるで呼吸でもしているかのように収縮して蠢き、
其の全体が濡れそぼっているのも、より嫌らしさを助長しているようでした。
生い茂った陰毛と、縦に割れた性器を食い入るように見つめているうち、
どうしょうもないほどムラムラしてきて、発作的にチンポを挿入してしまいました。
叔母は直ぐに目覚め、悲鳴をあげました。
だけど、上に乗っかっているのが私だと気付くと、
「なんだぁ、久雄ちゃんなのかぁ・・・あぁ、よかったぁ」
そんな事を言ったのは、誰か他の男に襲われた夢でも見たのでしょう。
「叔母さん、朝からゴメンね、でも、ボク、どうしても我慢出来なくなったんだよぅ」
「いいのよぅ・・・若い頃は、だれだってそうなのよぅ」
「叔母さん、そんなに、いろんな男とオマンコしたの?」
「ち、ちがうわよぅ・・・酷い事言わないでちょ~だいっ!」
すごい剣幕でした。私は慌てて詫びを入れ、逞しく抜き挿ししてやりました。
叔母はすぐに機嫌をなおし、朝っぱらから、
「いいわ、いいわ、いいわぁ・・・」
と盛んに快感を訴え。よがりによがり、膣をキッく締め付けました。
「叔母さん、いいよぅ、出ちゃうよぅ・・・あっ、あっ、あ~ッ、出る、出る、出るぅ」
私は呻き、締りのいい穴に思い切り放って遣りました。
行為のあと、叔母は全裸の身にエプロンだけつけて、朝飯を作ってくれました。
狭い台所で包丁を刻むたび、剥き出しの尻肉がプリプリと揺れ、
私はまたムラムラしてきて、後ろから襲い掛かってしまいました。
「久雄ちゃん、やめなさいッ。あぶないでしょうッ!」
だけど、私はおさまりがつかず、立ったままバックから挿入を果たし、
ゆっくりと抜き挿ししてやりました。
「あ~ん、もう、この子ったらぁ・・・」
叔母は甘くささやき、合体したまま料理を作り終えました。
それでも私は叔母から離れる気がせず、ひとつに繋がったままの格好で朝食を貪り、
(叔母もそうでした)食事を終えると直ぐ例の“駅弁”の格好で彼女を抱き上げ、
六畳の間でキツ~い一発をキメて遣りました。
その日は日曜日で、叔母は田舎に帰る予定だったのですが、
私にせがまれるままズルズルと滞在を伸ばし、一週間ほどして東京を後にしました。
その間、私達は相合傘で街中を散策し、夕方には銭湯に行き、同棲時代の気分に
浸り、後はアパートに篭って、ひたすらオマンコに嵌りました。
寝物語で、父と叔母の不倫生活の詳細を聞かされました。当時、40代の半ばの父は
中折れに悩まされていて、行為を最後まで終える事が出来なかったそうです。
三十路に成ったばかりの叔母は欲求不満に陥り、日々悶々として過ごしていたと言うのです。
其の話を聞いてから、私は叔母とさらに激しく交わり合い、何度も絶頂に導いて遣りました。
叔母と過ごしたこの一週間は、忘れがたい思い出になりました。
その後も週末に成るとお互いが熊谷駅まで出掛けて行って、
駅近くのラブホテルで密会を続けて居りました。
私が大学を卒業して家業の農場を手伝う様に成りますと、
市場への出荷トラックの助手席には叔母が陣取り、市場からの帰りにはラブホテルか、
時には路肩での野外セックスに若い血潮を沸き立たせていました。
私は27歳の時、5歳年下の妻と結婚したのですが、叔母さんとの関係は切れず、
相変わらずトラックの助手席には叔母さんが陣取っています。
昨年の二月に父が死亡しました。叔母さんは既に六十路になっているのですが、
あっちの方はまだまだ現役で、私をタジタジにさせてしまいます。
END
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プロフィール
Author:アヤメ草
FC2ブログへようこそ!管理人の
アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。
私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。
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