色ごのみ。其の八
◇総てが違う優しい人
茅ヶ崎の海岸に着いた時は、陽も沈んで人影も疎らな静寂の海でした。
海岸通りのホテルにチェックインして、風呂に入ってから散歩に出ようと彼は言いました。
その時の彼のいでたちは、汚れた作業着の侭で、髪の毛もボサボサ、無精髭も伸び放題。
人柄の良さは其れまでの会話で判るのですが、決して男前とは居えない風貌でした。
「俺先に風呂に入って身だしなみを整えるから、後から良かったら入っておいで」
と、彼は上着だけを脱ぐと浴室に消えて行きました。私は彼が脱いだ上着を衣文掛けに
掛けながら、何だか幸せな気分に浸っていました。
暫くして私は全裸に成ってバスタオルで前を隠して浴室に入って行きました。
髪を洗い、髭を剃った彼を見て驚きました。中々のイケメンだったのです。
私は思わず、顔を赤らめ、バスタオルで前を押さえました。
「ヤアー、さっぱりしたよ、一週間ぶりに髭を剃ったよ。どお、中々捨てたもんじゃないだろう」
「そうね、いい男に成ったわ。その男ぷりじゃ彼女も大勢いるんでしよう」
「彼女が居るくらいなら、お姉さんの世話にはならないよ。彼女居ない歴3年さ、
仕事が忙しくて彼女どころじゃないんだよ」
「ねぇ、お姉さん、て言う言い方止めてくれる。私は嘉代と言うのよ。
是からは嘉代って呼んでね」
「カヨさん、で良いのかい」
「嘉代って呼び付けで良いわよ」
「カヨなんて呼びつけにしたら、夫婦みたいだね」
「今夜は一晩貴女の妻になってあげる」
私は彼と並んで浴槽に体を沈めました。チラッと見た男性器は長さはソコソコですが、
カリ首が大きく段差がハッキリしていて、所謂日本男児の特徴である『歌麿マラ』と
言われるものでした。これからのベッドでの性交を考えると胸がワクワクしてきました。
ところが風呂から出ると直ぐにはベッドに入らず。海辺を散歩しないかと言うのです。
私達はホテルの浴衣を羽織って砂浜に出ました。
海は暗くて何も見えませんが、砂丘は月明かりで歩くには不自由しません。
彼が突然いいました。
「嘉代、裸に成って泳ごうよ」
「ええ、誰かに見られたら恥ずかしいわ」
「誰もいやしないさ。それとも嘉代は泳げないのかい」
「失礼ね、これでも高校の時はインターハイにも出た事があるのよ」
「へぇー、俺は青森の海で育った男だから遠泳は得意だよ」
私達は一糸纏わぬ姿になって海に入りました。
「嘉代、おまえのオマンコをバッチリ見せてもらったぞ!」
彼は私の前に成り後ろに成りして、私の泳ぐ姿を眺めているのです。
私は平泳ぎの形で、水を掻く時に思い切り足を広げて見せ付けてやりました。
「ねぇ、カラダが冷えて来たからホテルに帰りましょうよ」
「そうだな、それでは初夜を迎える事にしますか」
「私は10年前に初夜は経験してるわ」
「俺は初婚で童貞だよ・・・」
「童貞なんて、まさかでしょう・・・」
「そうだな、俺の童貞喪失は13の時だったよ、
近所の叔母さんに手ほどきされてね・・・」
「まあ、おませさんだったのね」
私たちのベッドインは、本当の新婚初夜の様に胸の高鳴るものでした。
私はこの時、柴田に恋をしている事に気付きました。
彼は私に言って呉れたのです。
「俺と結婚して妻に成ってくれ」
「今日会ったばかりなのに、私の事総て分かって言ってるの」
「俺は電気屋だ、プログラムに異常が有れば、其の部分をリセットして、
新しくプログラムを作り直せばいい。嘉代の10年はリセットして忘れよう。
是からは俺と二人で新しいプログラムを作って行こう」
「嬉しいわ、こんな私で良いの?」
「良いんだよ、嘉代を大事にするからな」
私達は徳永との離婚後一年を待って入籍しました。
柴田は本当に優しい人でした。
私の実家の父が胃癌で余命半年と宣告された時柴田は、
「此処に連れてきておまえが面倒見てやれよ、お袋さん一人じゃ心細いだろう」
勘当同然に実家を追われた私です、今更親の介護をとも思いましたが、
「兄嫁の世話には成りたくない」と言う両親を実家において置く訳にもいかず、
我が家に引き取る事にしたのです。
柴田は老父母の為に風呂場に手すりを取り付けたり、階段に滑り止めを貼り付けたり
家のあちらこちらに手すりを取り付けて呉れました。本当に優しい人です。
そんな老父母ですが父は平成2年に80歳で、母は平成12年に85歳で
この家で亡くなりました。二人とも柴田には本当に感謝しておりました。
私達は今年で結婚40周年を迎えました。
私の今の体形からは若かりし頃を思い出すことが出来ません。
夫の仕事を手伝いながから、柴田との間に出来た3人の子供を育て、
今では、二の腕は夫にも負けないくらい筋肉がつき、乳房は大きく重たく垂れ下がり、
ウエストのくびれは無くなって、子供たちは女関取と言ってからかいます。
でもそんな私の体を夫は今でも週に二回は求めてきます。
私は40年間柴田の色ごのみに染められて来たようです。
END
茅ヶ崎の海岸に着いた時は、陽も沈んで人影も疎らな静寂の海でした。
海岸通りのホテルにチェックインして、風呂に入ってから散歩に出ようと彼は言いました。
その時の彼のいでたちは、汚れた作業着の侭で、髪の毛もボサボサ、無精髭も伸び放題。
人柄の良さは其れまでの会話で判るのですが、決して男前とは居えない風貌でした。
「俺先に風呂に入って身だしなみを整えるから、後から良かったら入っておいで」
と、彼は上着だけを脱ぐと浴室に消えて行きました。私は彼が脱いだ上着を衣文掛けに
掛けながら、何だか幸せな気分に浸っていました。
暫くして私は全裸に成ってバスタオルで前を隠して浴室に入って行きました。
髪を洗い、髭を剃った彼を見て驚きました。中々のイケメンだったのです。
私は思わず、顔を赤らめ、バスタオルで前を押さえました。
「ヤアー、さっぱりしたよ、一週間ぶりに髭を剃ったよ。どお、中々捨てたもんじゃないだろう」
「そうね、いい男に成ったわ。その男ぷりじゃ彼女も大勢いるんでしよう」
「彼女が居るくらいなら、お姉さんの世話にはならないよ。彼女居ない歴3年さ、
仕事が忙しくて彼女どころじゃないんだよ」
「ねぇ、お姉さん、て言う言い方止めてくれる。私は嘉代と言うのよ。
是からは嘉代って呼んでね」
「カヨさん、で良いのかい」
「嘉代って呼び付けで良いわよ」
「カヨなんて呼びつけにしたら、夫婦みたいだね」
「今夜は一晩貴女の妻になってあげる」
私は彼と並んで浴槽に体を沈めました。チラッと見た男性器は長さはソコソコですが、
カリ首が大きく段差がハッキリしていて、所謂日本男児の特徴である『歌麿マラ』と
言われるものでした。これからのベッドでの性交を考えると胸がワクワクしてきました。
ところが風呂から出ると直ぐにはベッドに入らず。海辺を散歩しないかと言うのです。
私達はホテルの浴衣を羽織って砂浜に出ました。
海は暗くて何も見えませんが、砂丘は月明かりで歩くには不自由しません。
彼が突然いいました。
「嘉代、裸に成って泳ごうよ」
「ええ、誰かに見られたら恥ずかしいわ」
「誰もいやしないさ。それとも嘉代は泳げないのかい」
「失礼ね、これでも高校の時はインターハイにも出た事があるのよ」
「へぇー、俺は青森の海で育った男だから遠泳は得意だよ」
私達は一糸纏わぬ姿になって海に入りました。
「嘉代、おまえのオマンコをバッチリ見せてもらったぞ!」
彼は私の前に成り後ろに成りして、私の泳ぐ姿を眺めているのです。
私は平泳ぎの形で、水を掻く時に思い切り足を広げて見せ付けてやりました。
「ねぇ、カラダが冷えて来たからホテルに帰りましょうよ」
「そうだな、それでは初夜を迎える事にしますか」
「私は10年前に初夜は経験してるわ」
「俺は初婚で童貞だよ・・・」
「童貞なんて、まさかでしょう・・・」
「そうだな、俺の童貞喪失は13の時だったよ、
近所の叔母さんに手ほどきされてね・・・」
「まあ、おませさんだったのね」
私たちのベッドインは、本当の新婚初夜の様に胸の高鳴るものでした。
私はこの時、柴田に恋をしている事に気付きました。
彼は私に言って呉れたのです。
「俺と結婚して妻に成ってくれ」
「今日会ったばかりなのに、私の事総て分かって言ってるの」
「俺は電気屋だ、プログラムに異常が有れば、其の部分をリセットして、
新しくプログラムを作り直せばいい。嘉代の10年はリセットして忘れよう。
是からは俺と二人で新しいプログラムを作って行こう」
「嬉しいわ、こんな私で良いの?」
「良いんだよ、嘉代を大事にするからな」
私達は徳永との離婚後一年を待って入籍しました。
柴田は本当に優しい人でした。
私の実家の父が胃癌で余命半年と宣告された時柴田は、
「此処に連れてきておまえが面倒見てやれよ、お袋さん一人じゃ心細いだろう」
勘当同然に実家を追われた私です、今更親の介護をとも思いましたが、
「兄嫁の世話には成りたくない」と言う両親を実家において置く訳にもいかず、
我が家に引き取る事にしたのです。
柴田は老父母の為に風呂場に手すりを取り付けたり、階段に滑り止めを貼り付けたり
家のあちらこちらに手すりを取り付けて呉れました。本当に優しい人です。
そんな老父母ですが父は平成2年に80歳で、母は平成12年に85歳で
この家で亡くなりました。二人とも柴田には本当に感謝しておりました。
私達は今年で結婚40周年を迎えました。
私の今の体形からは若かりし頃を思い出すことが出来ません。
夫の仕事を手伝いながから、柴田との間に出来た3人の子供を育て、
今では、二の腕は夫にも負けないくらい筋肉がつき、乳房は大きく重たく垂れ下がり、
ウエストのくびれは無くなって、子供たちは女関取と言ってからかいます。
でもそんな私の体を夫は今でも週に二回は求めてきます。
私は40年間柴田の色ごのみに染められて来たようです。
END
- 夫婦の今と昔
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プロフィール
Author:アヤメ草
FC2ブログへようこそ!管理人の
アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。
私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。
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