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異性への恋心を大切にして生きてきた昭和の時代を振り返ってみましょう。

思い出される昭和のあの日あの頃

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三人の女・其の六

「弁護士婦人の事」
6-1.jpg
事務所の奥さんは私との性交ですっかり若返り、
先生の留守の間は私と嵌め狂っていました。奥さんは閉経していて、
妊娠の心配が無いので、嵌めれば必ず膣の中への射精を要求しました。

流石に疲れて、早くこの雌豚の亭主が帰って呉れる事を待ち望んでいました。

しかし奥さんは若い私に嫌われるのを恐れ、かなりの金額の金を呉れたり、
背広を作って呉れたりして気を引いていました。

先生が帰国して、軽井沢の別荘で夫婦水入らずで何日間過ごされました。
私は奥さんから解放され、ホットしたのも束の間、
留守番の私に電話が入り、先生は公判を幾つか抱えて居た関係で
何時までも軽井沢には居られないので、
奥さんを残すから用心棒に来いと言われました。

先生は歳が三十も離れた妻と私の関係には
何んの疑いを持って居なかったのです。

母には私の留守中の浮気は厳禁だと言い付けて、軽井沢に行きました。
幾ら言って聞かせても、きっとあの社長と嵌め狂うだろうと諦めていました。

日に一度御用聞きが来るだけで、
唐松林の中の別荘には誰も来る事は有りませんでした。
朝晩は涼しいと言うよりは寒く、日中は暑い日もありました。

二人は裸同然の格好で朝でも昼でも飽きる事無く抱き合い、
嵌めたりくじったりして過ごしました。軽井沢での二週間はアナルセックス、
SMプレーや放尿プレー等の変態もどきの行為経験し、
女にたいする訓練は完了したようなものでした。 

軽井沢で一週間過ごした時点で帰らせて呉と奥さんに頼みました。
「信ちゃんが帰りたがって、あたしの言う事聞かないのょ。
 あなたからもう一週間あたしに付き合うように言ってよ」
と言って電話器を一方的に私に手渡しました。
『ああ、信ちゃんか、あいつがああ言うだから、付き合ってやってくれよ、
 退屈でたまらんだろうが、是も仕事のうちだ、頼むよ、勉強忘れるな』
あっさり電話は切れました。

 
6-2.jpg
結局又一週間愛欲地獄の中での生活をする羽目に成りました。
母に未だ帰れない旨を電話して、どうして居るかを聞いてみました。
「あたしは元気で居るから心配しなくてもいいよ」
『まだ社長と遣ってるんだろう』
「うん、まあね。でも仕方ないんだよ。判っておくれよ」

母は私の不在が寂しいとか、早く帰れなどとは一切言わず、
私は母との関係の終わりを予感しました。
きっと今頃あの社長と私の留守を良い事に、
淫らな生活を楽しんで居るだろうと思うと嫉妬に狂いそうでした。

お年寄りの成功者の嫁だったり妻だったり、愛人だったりの軽井沢婦人達が、
私の様な若者を従えて滞在している奥さんに羨望の目を向けていたのに、
奥さんは大いに満足していたようです。
「信ちゃんを貸してくれないかって頼まれちゃったわよ」
などと奥さんは気分を良くしていましたが、八月の終わりも近づいて、
帰京しなければ成らない時期が来ました。

二人だけの生活の終わりを惜しむように最後の二日間は、
其れこそ一睡もせずに嵌めあい、アワビの様に開いたオマンコから
小水を飲ませたり、風呂場で私の小水を顔に掛けたり、
東京に帰れば実行できない事の数々をおさらいさせられました。

半月のブランクの後で、やっと懐かしい我が家に帰ることが出来ました。
母はすっかり若返り、華やかな感じの女に成っていました。

直ぐにでも私を抱いて呉れるかと期待していましたが、何か一線を引いていて、
ごく普通の母親に成っていたのにはガッカリしました。部屋にはもう一組の新しい
夜具が入っていて、其の晩から別の布団に寝て、
私が恋焦がれていた母の身体を抱く事は出来ませんでした。

あれほど私に狂っていた母は、淫らな事など一切無かった様に振る舞い、
私は禁断の夢を見ていたのだと諦めるほか有りませんでした。

結果的にはそれで良かったと思います。何時までも不自然な事は続く筈も無く、
また続けてはいけないことでした。

軽井沢の別荘での竜宮城で過ごした様な夢中の生活から、
現実の暑い都会の暮らしに戻った私に、
もう一つの暑苦しい出来事が待っていました。
6-3.jpg
何処で調べたのか母の勤める食品会社の社長夫人から
電話が事務所に掛かって来ました。
至急の用事で私に会いたいからと、
浦和の料理屋の名前と場所を指定して電話は切れました。

私には其の話の内容は直ぐに想像が付きました。
まだ昼間の蒸し暑い熱気が残っている、
北浦和の目立たない料理屋で、社長夫人と会いました。

彼女は先に来て待っており、私が席に座るやいなや食って掛かるような、
早口で私の母と社長の不始末を話し始めました。

仲居さんが居る間だけは口をつぐんでいましたが、
私には何も喋らせずに一方的にしゃべり、
恨み言を言い募るのでした。

社長夫人は、話の中で名前は典子で、
歳は母と同じ四十五歳だと言う事が判りました。
「あたしは裏切られて、馬鹿にされて不満の持って行き場も無いんだよ。
 あんたの母ちゃんをクビにして呉れと亭主に言うと、
取り合わずにあたしと離縁すると言うだよ」

彼女は悔しさの余りか、酒をかなりのペースで飲んでいました。
私も勧められはしませんでしたが、
彼女に合わせてかなり手酌で飲んでいました。

社長夫人の典子は私に母が自発的に店を辞めて、
社長から身を引いて関係を絶つように、
説得してくれ、と言うのが話しの趣旨でした。
始めは居丈高に一方的でしたが、
時間が経つにつれて哀願の態度に変わっていました。

『確かに母は良くない事をして居ると思います。
奥さんを可哀想な立場にして倅としても責任を感じて申し訳ないと思います。
何とか説得してみますから、暫く猶予を呉れませんか』

私は彼女同様、セックスの相手を取り上げられた立場でしたから、
典子とは話が根本では合っていました。
酒の酔いも手伝ってようやく二人は敵味方の立場から、
相談相手の雰囲気に成りました。

夏のワンピースの裾が乱れ、白い膝頭がこぼれるのも構わず、
襟ぐりから乳房が覗かれるのにも気付かないで、
典子は身体を乗り出してお酌をして呉れました。

  1. 人妻の性欲
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アヤメ草

Author:アヤメ草
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アヤメ草(万屋太郎)です。
演歌の作詞や官能小説書きを趣味とする、
今年72歳に成る“色ボケ爺さん”です。
何時も私のブログを見て頂き
有難う御座います。

私の別ブログ
“詩(うた)と小説で描く「愛の世界」”
も開設から八年目に入り、
多くの作品を公開してまいりました。
此処にはその中から選んだ
昭和時代の懐かしい「あの日あの頃」
の作品をまとめて見ました。

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